Memento Mori

03:洗浄

 窓から木の影の伸び具合からして今の時刻は正午過ぎといったところだろう。時計がないのはちょっと不便だ。

 これ以上布団に潜り込み続けるにはやや熱い温度に悩まされて俺は起きることにした。

 頭がまだたまにズギっとするけどだいぶ治ってきた。マイナにぶつかられたからだけじゃない、多分二人分の記憶が脳に入ってる影響もある。

 タルクの生前の記憶。頭痛がひどかった時、何とか探ろうともままならなかったけど、回復してきた今、これから周りの情報を把握するためにも少しずつ思い出していきたい。

 出入り口をくぐって空になった木製の皿を持って台所へ向かうとそこにいる人が目に入った。一瞬足が躊躇う。

 どう声をかけばいいだろうかといまだに悩む。このような繋がりの人と話すのは十年ぶりだったっけ。でもタルクにとって違うから、できるだけ自然に……

 俺は気持ちを切り替えるように深呼吸する。

 「母さん、あの」

 「うーん? タルクもう起きても大丈夫なの? ふらふらしない?」

 「うん、平気。何か手伝うか?」

 「そーだね」

 タルクの母――シニヤさんは俺から皿を持っていき、代わりに流し場で置いてあった食事を渡してくれた。

 「はい、タルクの分。食べ終わったら服の洗濯をお願いしよっか、戸口に置いとくね。あ、ベルクたちは畑に行ってるからそっちはいいよ」

 「ありがとう。分かった」

 「じゃ私は集会所に行ってるね」

 そう言って離れていった彼女を見えなくなるまで見つめていた。赤褐色のツンツンした短髪に黄緑色のつり目、元気にきびきび動くその姿は母さんや鈴木さんと全然似てなくて安心した。

 似てたら、さっそく女神との約束を破りそうになる。

 ……ははっ、覚悟もくそもないな。あるのは破れかぶれのみだ。

 俺は気を紛らわすようにメシを食卓に運んで食事を取る。ここでお米が食べられることに感動を覚えて、イタダキマスと言った時家の人の表情の微妙さといったら。この身(タルクの体)がついていた生活習慣も記憶もとっさに思い出せないのでたまにへまをする。

 お米は黄色がかっており、どうやら精製のものではないらしく、他にいくつかの雑穀と混ぜてお粥にしたのが主食らしい。

 他の皆はとっくに食事を済ませて仕事に行っているのに、粥と隣の野菜を煮込んだスープからまだ出来立てのように湯気が立っている。スープを一口に運ぶとほのかなえぐみが広がり舌にまとわりついてくる、食材をそのまま活かした簡素な味だ。

 簡素だけど、

 彼女が出た戸口の方向へ一目して、俺はゆっくり噛んで食べることにした。

 昼食を終えた後食器を流し場に戻して、水が入ったたらいに入れて洗ってから、ハッとする。

 「当たり前に手で洗ったな」

 「魔法」で洗ってみてもよかったかも。昨日までは元素を操ろうとしたら頭が痛くなったけど、今の調子なら。

 俺は流し場の隅に置いてあった植物の小枝を手に取る。

 こんなもので歯を磨くなんて、よく思い付くもんだな。

 見慣れた歯ブラシとは全く違う形のツールに感心しながら隣に並べた水瓶に意識を向ける。中にある清水を持ち上げるイメージを浮かべて、

 はっ!

 ちょぴっと、一握りくらいの水が宙に、浮かんだ。

 「わお」

 重力に逆らうように、いや、逆らわせた水の塊が視線のまっすぐ前にぐるりと波を打った。その超自然的な風景を前にワクワクと胸が躍った。

 本当に、魔法の世界に来てしまったんだな。

 枝の先端をそのまま浮かんでる水に突っ込んでから口に入れる。奥歯でそれを繰り返し噛みしめると繊維が解れ、ブラシ状になっていく。小さな陶製っぽい容器に入った黒い歯磨き粉を先端につけて歯を磨いた後、水を口に放り込んで念入りに口を漱げば口内がさっぱりしてて気分が良い。

 「うん、調子がいいじゃない」

 歯磨き終えると俺は戸口の近くにあった濯物を入れた籠を背負い、大きめのたらいと石鹼を持ってドアに手をかける。ドアを出るとすぐ廊下があり、真正面にある階段を一階まで降りて、振り返って家を見上げた。

 木と茅葺で造られた家は、いくつものレンガで固定された太い柱によって高く持ち上げられている。一階である開放的な場所は鳥小屋と物置として使われ、ここに飼っているのはハムイという鳥だけで、別の家畜は公共牧場で管理してもらっているらしい。

 普通は水害や蛇とかの害獣を防げるためにこういった高床建物の構造にするそうだが、ここでは多分、魔物対策の意味が大きい。

 鳥小屋の状況を確認しに行くとハムイたちの居眠りを邪魔したようで、黄色でまるい姿をしつつ、鳥と恐竜交じりの特徴的な頭を一斉に上げて「シィィ」っと鋭い牙を向けてきたので、俺は無事だと判断して慌てて飛び退いた。

 魔物も怖いけど、こんな危険そうな動物を家畜として飼ってる人間もなかなか見劣れないでは?

 なんとなしに遠くに稲作に励んでいる人を見る。見た目こそ地球人と変わらないものの、元素なんて操れるんだから、体の構造は違うのだろうと、ここの人は皆宇宙人だという事実が思い浮かんで身の毛がよだってしまった。

 ……かくいう自分も今はその部類に入ってるけど。

 日差しが強い中、涼しい川まで早足で行くと大きな石板が見えた。服に石鹸をこすりつけたりするために用意された公共の洗濯板らしい。

 籠を下ろし、たらいで水を汲んで洗濯物を入れたら準備完了だ。

 「よし、少しハードルを上げてみるか」

 俺は服をぐるぐる回すイメージを浮かべながら水に意識を集中させてみる。曖昧に感知していた水の元素を、その一つ一つをより具体的な渦の形へと凝縮させて、動かす。

 ぐぬぬっ……! 動け!

 バシャ、と水面がはねたと思った矢先、水が意識を持ったように動き出して服をかき混ぜ始めた。ただどこどなく動きがぎこちなく、なんとかコントロールしようとこめかみに力を入れると、水も同調するように動きが狂い出して、そのまま俺の下着と共にたらいから飛び出して芝生にぴちゃっと落ちた。すぐに下着を持ち上げても草と土とがべったりつくことを当然防げなかった。

 ……なんてこった、初級段階で大失敗。

 気を取り直して今度は下着についた土に意識を向ける。剝げ落ちろと念じてると土がぼろぼろと落ちていった。割と簡単な動きなので事故らずに済んだことにほっとする。

 残りの草を払って下着をたらいに入れ直し、小刻みに波で濯ぐイメージで水を操っていく。

 ぴちゃぴちゃ、ちょろちょろ、ちゃぶちゃぶ。

 ……遅い。

 服を飛び出さないようにたらいの上空に腕で囲って動きを強くしてみる。

 ざぶざぶ、ばしゃばしゃ、じゃぼんっ、ばちゃあぁ――

 「ええい手で洗う方が早い!!」

 焦りを募るばかりの不慣れな操りを諦めて直接手で洗おうと決めると、俺はすぐさま衣類を石板にバンと置いては石鹸をつけて擦り合わせて洗っていく。

 なんとか洗濯を済んだら気が抜けてしまって、俺は近くの石に腰を掛けて休息を取ることにした。

 「洗濯機って、偉大な発明だったんだ」と、感嘆の溜息をつく。さっそく前の便利な生活を懐かしく思ってしまった。

 ……いかんいかん! また前を懐かしがってどうする!

 俺は自分の顔を軽く叩いて気持ちを引き締めると、ふと目の前の川で自分の映された姿が気になって、前にしゃがんで観察してみる。

 赤褐の髪色と黄緑の目はシニヤさんゆずりか、三白眼自体は前と大して変わらなかったけど、顔つきは若く見え、どこどなくアジア人の風貌から離れていた。何より、

 「もう少し背が高い体にしてくれても良かったじゃないか……」

 下手したら前より背の低い姿、おまけにこの童顔っぷりに自分でも少年と間違えるほどだった。

 昔タルク18歳になったことで年貢の徴収量が増やされ、それから経った季節を数えてみると20歳は過ぎているはずだが、外見の説得力はまるでない。

 タルク本人も気にしていたようで、寝室の柱に身長を測ろうとキズをつけてはげんなりする繰り返しの経験を憶い出して、痛いほど分かる気持ちがため息になって口から漏らす。

 まあ、農家子弟だけあって結構鍛えられてるのはいいけど。家の人全員分の洗濯物を背負って階段を降りても息が上がらなかったのってすごい、筋力と若さこそパワー。

 それに比べれば……。

 俺は洗濯物に視線を向ける。

 この星の「魔法」は、果たして魔法と言えるほど便利なものなのか。

 まず、元素がないと操りようがない。つまり無から火とかを生み出せたりはできないのだ。

 ファンタジーもので出てくる華麗な魔法の数々とは同一のもだとはとても言えない、自然元素の操リに限った超能力と言ったほうがまだしっくりくる。

 そんな中で、自然元素に頼る暮らし方が人々に長く深く根付いていたら、瘧魔ぎゃくまを生み出さないように元素操作をやめればなど、無理な話だろう。第一、ここの人たちはそれが成因だと気づいてるかどうかも分からない。

 家の人が手足同然にしょっちゅう元素を操ってるところを目に浮かぶ。

 多分、気づいてないだろうな。

 洗濯物を籠に入れて家のところまで戻って、外側にある物干し竿に洗濯物をかけると、暖かい風の気配を感じた。

 自分だけでもやめるべきか、なんて躊躇って、

 「これからのことを考えると、使わないはずはない、か」

 俺は風に意識を伸ばしその流れをキャッチしてみると、風が急に思った通り服を往復に吹き抜け始めた。おまけに服についた水分が弾け、ぽたぽたと落下していく。

 んん? なんか急に上手くいってるぞ?

 感嘆を発するや否や、背後から声がした。

 「へへんっ、すごいっしょ!」

 振り返ると5、6歳くらいの小さな女の子が仁王立ちしてドヤ顔で構えてきた。名前は確か、

 「メイちゃんがやったのか、どおりで」

 「そうだよお、じょうずでしょ」

 メイ。ベルクの子供で、今の俺からすると姪にあたる存在だ。もう一人双子のウイもいる。

 「うん、上手上手。メイちゃんは畑作業終わった? 早いね」

 「あたし草むしりだけだからすぐ終わったよ。 いる?」

 メイは毟られた草を土がついた手に持って差し出してくる。子供のこういう奇抜な行動にはつい口が緩むものだ。

 「いらないよ。捨てちゃって」

 「タル兄せんたくしてたぁ? 頭で?」

 「まあ、途中ね。諦めて手で洗ったよ」

 「ははっ! タル兄はいつも手でやる方が早いもんね!」メイは淡褐色の短髪を揺らしながら門歯が一本欠けた歯茎をむき出しにして笑った。

 「くう〜! 面目ねえ」

 自分より遥かに小さい子供にマウント取られて悔しい。どうなってんだこの実力差はよ。

 メイがぽいと草を捨てて両手を上げると、風もつられたように勢いが増えて洗濯物を吹き乾かしていく。

 これならもうすぐ乾きそうだ、と思った先。

 ぐりゅううう――

 これは、クるな。

 「ありがとうね、メイちゃん。俺は一旦家に帰るよ。服は戻ってから片付くね」

 「タル兄なにする? おっしこぉ?」

 「そうそう、おしっこ。メイちゃんは帰る前に手を洗ってきてね」

 「あーい」

 おっしこぉ、おっしこぉ、と歌いながら川へ小走りしていくメイを見送って、俺は階段を上る。階段とドアの間にある廊下を右側に進み、左に曲がった突き当たりに配置された便所へと早足で駆け込む。

 この三日間排泄は寝室のおまるにするようにと強要されるがどうにも恥ずかしくて大の方を我慢してたけど、そろそろ限界だ。

 ドアを開けると原始的な汲み取り式の便所が目に入った。用を足した後、ティッシュ代わりの布を探してると隅に置いてあるたらいの水を見て、一瞬閃く。

 ほほん、使い方、分かったぞ。

 水の元素を一握り持ち上げて、宛がう。

 じょろん、パシャパシャ。

 ──ふぅっ、は――あぁ。

 なんという、爽.快.感ん!

 「ふふっ、よりによってこういう時は便利なんだ」

 手を使わずに済む気持ちよさがこれほどとは。先ほどまで元素操作に対する評価がウォシュレットランクまで上がったぞ。

 物干し竿のところまで降りて行くとメイが洗濯物を籠にぎゅぎゅと詰め込んでいる。風を操って服を下ろしたのか。

 「メイちゃんが代わりに片付けてくれたの? えらい」

 「でしょ? あたしはえらい! でも重いからタル兄がもって」

 「はいよ。ではおうちに帰ろっか」

 「ああ待って、ハムイのお家のお掃除もするの。まだでしょ?」

 「ええ? まだだけど、上手くできるかな」

 あの凶暴な家畜の小屋に入るのかと思うと緊張する俺に、メイは「大丈夫、あたし、やり方知ってるから」と、鳥小屋までへ向かうよう俺の背中を押して促した。

 その後、メイが率先して鳥小屋に入り、カマキリに似たような威嚇の構えを取りながらEXI〇Eの如く体を螺旋状に回してハムイたちの注意を引き寄せている傍らに、俺は急いでハムイの糞を掃除していると、目の前にメイの動きに連動して首をうねていたハムイに急に髪を噛まれて、危うく禿げかけたところをメイが土の塊でハムイをぶっ飛ばして助けてくれたのだった。

 かき集めた糞を肥料袋に入れて、木の扉を施錠してから外へ出ると、むわりとした鳥小屋の匂いから解放され、生暖かい風が汗ばんだ額を撫でていく。

 太陽は山の方へ傾き始めていて、眩しい暁の光に二人の影が長く伸ばされた。早く家に戻って冷たい水を一気に飲み、顔を洗いたいものだ。

 俺は籠を背負って階段を上がろうとすると、メイに待ってって止められた。

 「タル兄お酒ふむの忘れてるよ!」

 「ああそうだった」

 「いかなる時も、身を清め、じゃきを払え。さすれば、えーと、うんと……みたまのおやつがもらえる!」

 腹減っているのか、「マイナ食べたい!」とねだるメイに目を細め、俺は階段の隣に置いてあった酒が入った消毒槽に足を踏み入れた。

 家に入る前にそうするのが、掟だ。

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