02:烈火
ベッドの隣の小さな机に置かれた皮がきれいに剥かれてカットされたリンゴに目をやる。そしてそれはリンゴではなく、中身がオレンジ色の果物「マイナ」だという知識を、脳の記憶から引き出した。
「どうだ? まだ痛そう? 外傷はだいぶ治ったみたいだけど」
さらに隣の椅子に座っている男はこの体の元主の兄貴であることを認識した。確か名前は、ベルクと言う。
「そう、だな。まだちょっとめまいが……」
「そうかー、んじゃゆっくり休んでて、今日の当番も代わっておくよ」
「うん、ありがとっ」
ベルクが少し怪訝そうな表情を浮かべつつも話しかけてくることはなく、ほどかれた包帯と軟膏が入った壺を持って出入り口から出て行った。
今の返事がまずかったか。でも、仕方ない。いきなり自分の家族だと認識せざるを得なくなった赤の他人と自然に交流しろだなんて、土台無理な話だ。
もう一度、隣のマイナに視線を移す。
「こんなスタートで大丈夫かいな……」
微かな果物と薬草とカビが混じり合った匂いにくすぐられ、ちくちくする藁布団に身を沈めながら先日女神との会話を思い出していく。
* * *
「なーにが世界救えだ、漫画の読みすぎだろ。いきなり言われてはいそうしますっつ人いるもんか」
「マンガ? それはアナタのほうだろう? 実際、私のお願いにアナタは興味深いと、考えている」
「待て待てっ、やっぱお前俺の心読めてたろ! なんなんだよ!?」
彼女の願い――共に星を救うことをきっぱり断ったが、願い自体に興味が湧いてしまったのも事実だ。
古今東西の冒険譚、英雄伝説、あるいはファンタジーもの全般、そういうおおよそ現代社会の歯車として生きてきた人間にはもっとも無縁な世界を、空想の物語に綴られたメディアの数々摂取することで俺はかろうじてあの潤いのない生活を凌いでいけた。それなのに、
もう火傷の痛みどころか、感覚すらない手を握ってみては放す。何かが手からこぼしていって消えていくような、そんな錯覚に陥る。
「興味イコール受け入れたいってわけじゃないんだよ」
「それだけではない、もっと別の何か……」
「あのさぁ、本人の前で心を分析しないでくれる?」
どうにも覗かれてるみたいで気分が悪い。
「では直接に聞こう、なぜ断った」そんなどんよりしている俺をよそに創造主と自称する女神が話しかけてくる。
「自称とはなんだ、事実だが」
「だ・か・ら! 心読めるなって! まあその、事情だけはまず聞いておくから、アンタの星に何が起こってるのか」
「そうだな、私が焦ってた。では、聞いてちょうだい」
女神の言葉と共に星を映った画面がズームインされ、とある小さな町が映された。
その中に人々はある建物を修繕するため道具や材料を運んでいる。道具は一つ一つ、高く組まれた丸太足場に運ばれていく。それらは――宙に浮かんでいた。
「なにあれ、魔法?!」完全にファンタジー物語でしか見れない風景を前にして俺はつい飛び上がってしまった。
「風の元素を操ってモノを運べてるのだ。次にこれを」
視線の先にまた場所が変わっていた。黄金色の稲田の中から黒い塊たちが覗かせて蠢いている。
人、にしては細すぎる肢体をくねらせ、頭と思わしき部位から触手らしきものを伸ばせ、何かに群れてむさぶり喰っているようだ。ただ、生き物の動きにしてはどこか不自然で、操り人形がぎこちなく動かされている、と言ったほうがまだ近い。
加えてその異様な光景が稲田に現れてることから、まるで都市伝説の『クネクネ』を目撃してしまったような、そんな怪談読後の嫌な寒気が背筋を這い上がる。
「ヤツらは『瘧魔』と呼ばれている」女神は怪物に指さしてその名を告げた。魔法がある以上こんな厄介な空想生物みたいのも付きものだと、ノンフィクションを多読している俺にそういった認識があった。
ただ、おそらく目の前は現実だ。
「えっと、もっと画面近くまで映せないのか?」
「できるけど、人間から曰く、かなり気持ち悪いらしいぞ?」
「そ、そっか、じゃやめておこう」
「瘧魔とは、元素の突然変異によって生じたモノだ」
「変異?」女神は怪物を注視しながらその成因を説明するが、それが何だか引っかかって俺は眉をひそめる。
「人間が過度に自然の元素操作を行うとその濃度の均衡が崩れて歪んでしまう。異変した元素の果てに、瘧魔が顕現するのだ」
「えっ」
――つまり、怪物の誕生に人間が関与しているとでも言っているのか?
俺はその事実に呆気を取られる間にも女神は淡々と話を続けていく。その声調の冷たさはあまりにも無機質めいていて、しかし裏側には諦観か、あるいは何か途方もない感情を押し殺しているかのように感じ取っていた。
「人間社会が発展していくにつれ、元素の濫用も起きるようになり、国まで発展した頃から均衡の崩壊、すなわち瘧魔の横行が顕著になっている」
状況を説明している女神はここで一旦止まり、俺が異状に気づいたのを見抜いたように俺の目を見据える。
「ま、待ってよ、みんな使ってるんじゃ、やつは次々と生まれてくるのではっ、それも人が多ければ多いほど、こんな、めちゃくちゃじゃないか!」
「そうだ、まさにメチャクチャだ」
女神は罪の意識にでも苛まれるかのように物憂げな表情でうつむいた。
「……ヴァーレナは私が初めて創った星だ。経験もないゆえにこんなにも不安定な形になっている。が、それを進化の壁に突き当たったと、割り切れてるつもりだ。仮に人間がこうやって滅亡していくとしてもな」
そう言いさしたところで女神は顔を上げて表情を怒りへ一変させる。
「だが、コイツは違う」
稲田から瞬時に荒々しい大地へと切り替わり、そこに巨大なカルデラが姿を現した。中に見えるはずの清澄の湖の面影がなく、かわりにどす黒い泥が窪地を充満している。
「おおよそ三年前、極度に変異した個体を観測した。ヴァーレナでもっとも繁栄した国を滅国まで蹂躙し、周辺の軍隊と激闘の末負傷、ここまで逃げられたのだ」
滅国、だと?
大きな国一つが犠牲されても倒せないものなら、いずれやつが再起したら、どうなる?
口の中に苦味が広がる気がして、俺はその恐ろしいほどにさざ波ひとつなく、靜寂に包まれる黒泥から目を背ける。
「星を救うなんて柄じゃねえ、この世界でのうのうと生きてもいいぜ、なんて、思ったけどな」
「そうともいられないのが現状だ。コイツは看過するにはあまりにも異質な存在だ。何としても排除したい」
ここまで聞いて大抵の流れは把握した。俺が読者だったら、願いを了承した勇者のこれからのご活躍を楽しみに次のページをめぐればいい。
ただあいにく、というより最悪なことに願いを聞かれた対象は俺という一般人だ。
「それで、俺とアンタ二人でコイツを倒せと? アンタの無敵の加護とやらでか?」
「いいえ、私は基本自分の星に干涉はできない、それこそもっともの均衡崩壊になりかねないから。よって君に私の力を渡すことも憚れる」
「おいおいじゃどうしろってんだよ」
「一つ、ヤツを討伐する遠征隊が結成されてる。私の見込みだとこの集団の討伐成功率は最も高い。君という保険も入ってもらってその行方を私の指示の元導いてもらいたい」
先導者になれってことか? お供の間違いじゃなくて? 俺は冒険隊の後ろにのこのこと歩く歩荷のイメージを浮かべる。
「そう簡単にいくもんかね……、まあ、どんな人たちだ?」
「紹介しよう」
カルデラを移された画面はとある場所の廊下に変えていく、目の前のドアの隙間から何やら湯気が漏れてるような……
「ストップ! いったん止まれ!」
「あ?」
女神は不可解に首を傾げるが画面の進行は止まれない。とうとう木製の浴槽に浸かってる人影が目に入ってしまい、俺は急いで背を向けた。
「なに人が風呂入ってるとこ見せるんだよ!? プライバシーの侵害だぞ!」
「何だそれ、私が私の創ったモノをどう見せるかに何か問題でも?」
ダメだこいつ。
「いやいや、仮にも生身の人間だ、それを自分のモノだなんてっ」
「ふん、理解不能だ。何をそんなに遠慮する必要がある?」
どっと疲れた。これが人と神の価値観の違いか? 普通の会話もままならないとは。
俺は先が思いやられそうな予感に頭を抱える。
「とにかく、写真だけでもいいから」
「シャシン?」
「ええっ、知らないの? えっと、顔だけ見せてくれれば」
女神は俺を一瞥して、めんどくさそうに画面を切り替える。すると一人若い女性の側顔が映されたが、依然として入浴シーンである。おまけに視界の至るところ半分のうちが投影された画面なので、当然顔だけを映されることはなく、女性のほんのりと赤く染まる肩が、
アウトォ!
「その、俺が悪かった。もう見せなくていいから」
「チッ」
字面通り頭を抱えて膝をついた俺に女神がまたしも舌打ちをして画面を真っ暗にした。これで二度目だがめんどくさいと思われてるに違いないな……って、白目を剥きたいのはこっちですけど!?
「まったく面倒くさいぞキミは」と、女神が白目を剥いてきっぱりと言い放った。
「……」
もうさっさと会話を切り上げてしまいたいという切実な願望を堪えて俺は要点を伝える。
「とりあえず、話は一旦ここまでにして、その依頼を受けるかどうかは後から決めてもいいか?」
「ここまで聞いておいてまだ躊躇するのか? 今すぐ答えを出してもらいたいんだが」
「それは、悪い。けど何もかも一筋にはいかないんだよアンタの願いは」
俺はあくまで一般人だ。そんな前からまだパソコンと睨めっこしていた人間にいきなり化け物に直面して倒せなんて、簡単に快諾する人はいないだろう。というより、やっぱり断ろうか。怖いし。
「……キミは拒否を選ぶならキミを元の場所へ帰すことはまだできるが、どうする?」
「えっ?!」まさかの第三選択肢を聞かれて思わず面食らう。
地球に帰ることもできるってことか? でも、
「この前ほぼ死んでるって言ったよな? それって、実際はまだ生きてるの? 地球の俺」
「しばし待て、状態を見せてくれるよう地球の主に要請する」
女神は話を中断してすっと沈黙になる。よく見ると目から光の束みたいなものが奔っているような、構造が光ファイバか? それにしても、地球の創造主っていうの、すごい気になるけど。
「繋げた」女神はそう言うと再び映像を出現させた。
そこには白く無機質な病室が現れた。複雑そうな設備がいくつも置かれており、治療用のベッドの周りには電線や管状のものが伸びて、それぞれが設備に繋がっている。
――ああ、察しはついたはずだ、こうなることを。
ベッドの上に、有機体であろうモノが横たわっていた。
ソレの頭から足の先まで分厚い包帯で覆われている。かろうじて覗く目の口の周りの皮膚になるべく直視しないようにして、口から人工呼吸器らしき機械に繋がっている太い管に目をやった。胸のあたりが機械のリズムに合わせてかすかに上下している。
目を瞑らずにはいられなかった。目の前の凄惨な現実をこうもあっさりと見せつけられて、どうしようもない無力さばかりが込み上げてくる。
ふと、いらぬ考えが頭をよぎってしまう。
ひょっとしたら、アイツは、見舞いに来たり、するんだろうか。
「廊下か、誰かが待っているような場所に移動できないか?」
地球の創造主は応じたのか、ふわりと場所が変わった。簡素なソファがいくつか並び、休憩室のような空間が見えた。そこに、見慣れた人影がいた。
彼女たちは、近くに住んでる鈴木さん親子だ。俺の容態はもう見てたのだろう、どっちも沈痛な面持ちをしている。あの時以来よく親切にしてもらってる隣人だ。自分のあんな様子を、二人には見せたくなかったんだが。
「会話を、聞きたいけど」
俺がそう伝えると、これまで無声だった映像から二人の会話がクリアに聞こえてくる。
「もう一度、話しに行こうよ!」
「隣で聞いてたでしょ。あんな態度じゃ、もう聞き入れてもらえると思わないわ」
「いや、だって、おかしいでしょ! 見舞いは家族の義務なんだぞ!? あの野郎、浅かっただし歩けてた! なのに、なんで私たちに代われなんてっ」
「瑛子……私、光さんに会えて良かったと思ってるのよ」
「それは、私だってっ、でもそれとこれは! ぐずっ、この、ド畜生っ! さっさと捕まってればっ」
ゴウォォ。
目の前に炎が燃え上がるように真っ赤に染まった。
「瑛子、やめなさい。夜にもう一回面会できるから、私たちで見に行こう? 光さんは深く眠ってるって、先生が言ってたのよ……分かるでしょ?」
「もういい」
今ので充分に分かった。
「キミの判断の実情についてだが、」
「もうどうでもいいんだ、どっちにしろ禄なもんじゃないさ」
思い上がりも甚だしい、無関心ですらなかった。そう受けてしまえば案外身軽になるもんだ。
死に損ないは最後まで憎悪で己の子を焼き尽くそうとした。それがすべてだろ。ならば、これ以上誘蛾灯に飛び込む愚かな羽虫でいるなど、やめるまでだ。
「アンタの願いを受けよう」
ああ、やってやるよ。やればいいだろ。
耳元で炎が吹き荒ぶ音がまだ止まない。心の中で渦巻いていた感情すべてが黒いカスへ燃え尽くされていく気がした。
「……頼んだ、アキラ」女神は何か言いたげだが、口にはせず目を元に戻した。
「今の俺はもうアキラじゃない、だろう?」
自分の名前にもう価値を感じないのか、それとも、嫌な記憶ごと封じ込めたいのか、女神にそう呼ばれることに拒否感が湧きあがった。
「そうだな。タルク、それが私が選んだ人間の名だ。今後はキミにタルクと呼ばせてもらおう」
「それでいい。とりあえず、一度はアンタの星に行かせてくれ」
「そのつもりだ、キミは先ほど果物にぶつかられて気絶していた。しばらくは休むといい」
「ははっ、あれか。また死ぬかと思った」
「キミが私に会えるのは失神か睡眠中の時だけなわけだから、回復した時にまた夜に会おう。説明は追々伝える」
女神が話を終えると同時に視界が緩やかにぼやけていく。
次に起きたら新しい人生か? 俺はそのことに一切抵抗なくそのまま誘う深い暗闇に意識を任せた。
本当は、このまま起きなくても構わないと思うのだった。
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